
先日訪れた春木地区の祭礼。
ちょうどお昼の休憩の際に、定位置に据えられていた春木宮川町のだんじりを拝見させていただきました。

この宮川町のだんじり。
元々は、忠岡町の東部に位置する高月が新調されたもの。
私の親父から聞いた話ですが、
その昔、板原町の祭礼で町内曳きの途中、槇尾川の南岸あたり(板原では中洲と呼んでいます)で、高月のだんじりを見たといいます。つまり泉大津のだんじりと忠岡のだんじりがニアミスしていたということになります。
そんな高月のだんじりですが、第二室戸台風で地車庫が倒壊し、しばらく野ざらし状態になっていた地車を、昭和40年頃に春木宮川町が購入され現在に至ります。

この地車は
昭和15年に名門・絹屋によって作事されました。
絹屋といえば、昭和初期に多くの地車を世に送り出されていますが、とくに昭和11年以降に連続して「軒唐破風」の美しい姿見を持つ地車を世に放ち、俗に「絹屋型」と呼ばれ人気を集めました。
(絹屋の中でも絹井楠次郎さんの代のものです。)
昭和11年
・岸和田市西之内町(先代)
・和泉市春木町(先代)
昭和12年
・和泉市府中町市辺(先代)
昭和13年
・貝塚市堤(先代)
昭和14年
・岸和田市岡山町山出小路(先代)
・岸和田市岡山町東出小路(先代)
・岸和田市山直中町
・岸和田市福田町
昭和15年
・忠岡町高月(春木宮川町が購入)
上記のとおり、連続した5年の間に実に9台の軒唐破風が誕生しています。
もし、この当時のだんじりが一同に並んだ様子を想像するだけでもロマンが広がりますね。

話を戻しまして、宮川町のだんじり。
昭和40年頃に春木の地へ嫁いでから幾度かの大修理を重ね、今は軒唐破風ではなくなっていますが、彫刻は新調当時のものが多く組まれています。
多くの書籍では、彫刻責任者は松田正幸さんで、助に木下舜次郎さんと記されていますが
私の見たところ土呂幕三方などのメイン部分は、田沼源治さんの手によるものと思われます。
連子部分は松田さん、枡合いや見送り内の馬乗りなどに木下舜次郎さんのものがあるように思います。

間違いないのは、枡合い部分。
写真は正面「天乃巌戸」ですが、舜さんが世に多数放った十八番ともいえる図柄です。
間違いなく、枡合いは木下舜次郎さんのようです。

我が家にある舜次郎さんが描いた下絵と並べてみましたが、まさに瓜二つ。
素晴らしいですね。個人的には、春木地区で最も好きな地車という理由です。


近年、やりまわしの高速化が著しく、非常に危険さが増している気がします。
このような素晴らしい彫刻を持つだんじりが末永く活躍されることを願うばかり。
スピードを追い求めるよりも、だんじりの文化的価値にも目を向けて考えなければならないところに来ているのかも知れませんね。
ではまた。