6月21日(土)
堺市・八田西町のだんじりが惜しまれつつも最後の「お別れ曳行」を以て、解散されることになりました。
当日、レポに伺うことは叶いませんでしたが、当館では、2007年3月25日に和泉市黒鳥町郷小路時代に行われた地車修理完成お披露目曳行に密着してましたので、その懐かしの様子をご覧頂こうと思います。

たっぷりのだんじりレポと曳行の様子をぜひご覧ください。

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黒鳥町郷小路。
昨日の晩から降り続いた雨がようやく上がったのは、地車が帰町する少し前の午前8時半ごろでした。
わが町・板原からもほど近いということもあり、前梃子の相方房吉を誘い自転車で黒鳥へ。

今や貴重となりつつある明治期制作の「骨董級」だんじりが見れるとあって、集合場所には比較的多くの
だんじりファンが詰め掛けていました。

では独自の視線でこの地車を紹介します。

◆◇郷小路(黒鳥第二町会)地車紹介◇◆
  明治29年、岸和田市三田町小倉が新調(もしくは購入?)
  小倉の地車新調により平成4年5月に郷小路へ
  大工:絹井嘉七
  彫師:玉井行陽、櫻井義國

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▲シートに包まれた地車がトラックに載せられて到着。このとき、ちょうど雨もあがってよかったです。

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▲町内の菅原神社にて入魂の儀。
 纏は「大北町」のような瓢箪でした。

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▲前後の姿見。腰周り三段と比較的小振りな切妻型。
 今回は主屋根の葺地が交換されてました。

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▲見送り下、連子に注目!
 岸和田市小倉時代に、高さ・幅など大型化されたであろう痕跡を発見。主屋根内部にも大型化の跡。

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▲後屋根連子は段々で木取りされた珍しいタイプ。そしてここにも幅を広げた痕跡。
 妻方向・平方向への寸法が広げられた結果、後屋根隅木と大脇・半松良のラインに微妙なズレが発生。

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▲垂木には岸和田市小倉の名残「小」の字!
 摺り出し鼻の根元には、斜め45度の向きで彫り物がありました。この部分は何て呼ぶんでしょうね?
 横槌のようで、摺り出し受けのような印象ですが。。。
 そして、古い地車の特徴でもある後屋根の破風は「一重」ながら、裏甲も一重。

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▲正面の懸魚。鶴が5羽も飛んでました。。

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▲土呂幕「灘波戦記」の彫刻。玉井行陽か、はたまた左衛門こと櫻井義國、初期の作品か!?
 いずれにしても「高松一門」の作品には間違いなさそうです。

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▲見送り「関ヶ原の合戦」。大脇と脇障子には、それぞれ丸柱があり屋根を支えてました。

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▲各桝合いの彫刻。このあたりにも高さを積んだ処理が見られます。

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▲お披露目曳行のひとコマ。第一町会の「辻小路」の真新しい地車が顔を見せてくれました。

郷小路のみなさん、今日は本当におめでとうございました。
今では貴重な明治期のだんじり、いいものを見せていただき感謝してます。遠路方々から、見物人もお越しになられてたと思います。
しかしあのカドを本祭では「やりまわし」するんですよね。
あまりの狭さに驚きました。
くれぐれもケガのありませんようご安全に・・・(笑)。

では、これにて。