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古きよき穴師の祭り。
昭和30年代の頃のものと思われる貴重な写真を頂戴しました。

現在の穴師小学校グランドに集結した穴師のだんじり。
宮出しただんじりが、お旅所に到着。

※この時代は、穴師神社の参道の中間地点(穴師幼稚園と小学校の間くらい)で、右折し、御旅所へ向ったと思われます。。。


しばしゆっくりと時間が流れるひととき。
今も昔も変わらぬ光景のようですが・・・

よく見ますと…
飯之山(御膳だんじり)を含む6台と1基の神輿が確認できます。。。

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・・・写真左は神輿。
そして四つ屋根だんじりの飯之山、豊中・池浦・我孫子・虫取・板原
合計6台!

そうなんです!
あの銘だんじりと詠われた「虫取」だんじりが、何と!我孫子と板原の間に鎮座しています!!

現在の穴師神社宮入りはといいますと、
一番:豊 中
弐番:池 浦
参番:我孫子
四番:板 原
なのですが、古くは我孫子のあと、板原よりも先に虫取が入り、板原が五番目で宮入をしていたことが伺えます。。。

せっかくなので、各町のだんじり写真をできる限り大きくしてみました。
(画像が粗くなりますことをご了承ください。)

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飯之山だんじりを前に、5台のだんじりがお旅所に揃う光景。。。
でも今では見れない。。これが現実なのです。
ちなみに、(この年代から推測しても)板原町の地車の正面で片手をだんじりに据えているのが、どう見ても、うちのおじいちゃんっぽいのです。。。
(町内ではじめてハンチングを被ったというオシャレなおっさんがうちの祖父、と聞いてます)

この時代に行ってみたい・・・(汗)。

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で、虫取のだんじりをさらにアップで♪
 このだんじりの特徴がいくつか確認できます。。
 まさに折衷型の元祖、ともいえる形態です。

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最後は無修正で(笑)。。

この歴史こそ穴師。
泉大津は古くから上だんじりですが、その山手に位置する穴師地区こそ、明治期頃以降は、下だんじり文化の最北端であった!と、私は推測します。

では、また。