2024年1月6日(土)
東京へ単身赴任してから毎年恒例にしている年始の旅初め、おかげさまで3回目を迎えました。
初回は小海線に乗って小諸方面、2回目は三陸・女川町、そして今回は、ずっと乗ってみたかった只見線(ただみせん)を走破し会津若松へ。
これには「自分ルール」なるものがあって、
①昨年頑張った自分へのご褒美として
②成人の日を利用した3連休に
③青春18きっぷ残り2回を利用し鈍行列車で
④自由気ままなひとり旅で
というもの。

さぁ、今回はどんな道中になったのか。
旅のはじまりからおしまいまでご覧ください。

東京駅から上野東京ライン「快速アーバン」に乗る。
あらかじめスマホから購入しておいたグリーン券で快適に。
幸先よくグリーン車の2階席に着席。これで終点の高崎まで。スマホからのグリーン料金800円はお値打ち。快適。しずか。

都心から離れ、徐々に景色が変化してゆくのがいい。快晴。
乗り鉄の醍醐味だ。

高崎からは上越線に。
首都圏での役割を終えた、かつての国鉄型の211系電車に乗る。
残念ながらロングシート。ここからおよそ1時間かけて水上を目指す。

雪をかぶった山々が見えてきた。
ほどなくして水上に到着。

水上からは上越線の長岡行きに乗車。
新しい車両、ボックス席もある。やっぱり旅はボックス席でないと雰囲気が出ない。
無事に窓側に着席できたが4両編成の列車は、たちまち満席に。
これまた1時間半ほどの乗車のため、トイレ近くに座る。(青春18きっぷの利用者は、駅のトイレでゆっくり用を足す時間がない。)

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
あの川端康成さんの名作「雪国」を思わせる光景。

上越線・越後湯沢あたり。
車窓のすぐそばにスキー場が何か所かある。
スキー場はオープンしているものの岩肌が露出しているようだ。

小出駅で下車し、念願の只見線(ただみせん)に乗り換える。
当駅始発、キハ110という気動車。エンジン音が旅情を誘う。
乗り換え時間は10分余りで、車内はたちまち満席に。
年配の方も、若い男性の一人旅の方も、青春18きっぷを利用されてるという話が聞こえる。
4時間余りを要し終点の会津若松を目指す、みんな只見線のファンなのだ。

かろうじて窓側の席を確保できたが、立っている人もいる。
こんな状況で4時間も耐えられるのか…!?

小出駅を出発し、薮神駅~入廣瀬駅までは、山間ののどかな田園風景。
だんだんと雪深いエリアへと入っていく。線路脇の柿の木がよかった。

スマホは圏外、やむなしか。
にわかに車内が慌ただしくなる。この辺りから撮影スポットに入るのか…。

油断してると、社内の熱気と外気温に違いで窓がすぐに曇る。
ティッシュペーパーは必需品。

列車は雪に覆われた鉄路を、時速40キロ程度でゆっくり走る。

只見線の名称にもなっている「只見駅」に着いた。
ここでは上下線の離合のため10分ほど停車。
外の新鮮な空気を吸うためにみんなホームへ出てくる。


時代は流れ、気動車ながら行き先表示もLED化されている。


2両編成の先頭は、キハE120というこれまた新鋭の気動車。

再び車内に戻ると、只見線を応援しているというボランティアの方が冊子を配布してくれた。

只見線だけにタダで見せてもらえるなんて幸せ。

あいかわらず列車は低速で走行。
民家からは手を振る老人。
こころが温まる。実にいい。

只見駅を出てからは、第八、第七…と、第一まで、8つの只見川橋梁が続く。

ボランティアのガイドさんが車内で案内してくれた。
社内販売もあって、車内に一体感が芽生える。

会津川口駅では対抗列車の離合のため、しばしの停車。
外の空気を吸い、対抗列車を撮影する人たち。

私も外に出て撮影タイム。
穏やかな川沿いに気動車のエンジン音だけが鳴る。
いい場所に来たものだ。


川と併走しながら景色を楽しむ。
これぞローカル線の醍醐味。

そして、只見線随一のスポットである第一只見川橋梁へ。
乗り鉄は、この絶景は撮れないため、パネルを見せてくてたボランティアのおじさん。

ちなみに、第一只見川橋梁とはこんな光景。
(駅のポスターを撮影。)

小出駅を出てから4時間余りを要して、目的地の会津若松駅に到着。

駅前の好立地にある富士グランドホテルにチェックイン。

駅前の居酒屋にて。
会津名物の馬刺しと、会津の地酒「奈良萬」純米生酒 中垂れ 無濾過生原酒をチョイス。
1合990円という値段ながら、濃厚な味わいと発泡性の口当たりに納得。

ホテルに隣接する天然温泉で旅の疲れを癒したあとは、お待ちかねの第二ラウンド開始!
風呂上がりの生ビールと舞茸天に、会津そば。
ベストチョイスに我ながら感動。完璧に旨し!

1月7日(日)
朝はややゆっくり起床。
和定食をいただいてチェックアウト、徒歩で飯盛山を目指す。

この飯盛山には、明治戊辰の戦にわずか16~17歳で命を絶った白虎隊のお墓がある。


長い階段を上ると息が切れる。俺ももう50歳…。

山頂で手を合わす。

白虎隊の石像が見ている先には鶴ヶ城。
よし、後でそこも行こうぞ。

今回の旅の目的は只見線に乗ることと、
もうひとつ重要なミッションがある。それがこちら。
他に類を見ない独特に「二重螺旋構造」という造りのお堂、国の指定重要文化財の旧正宗寺三匝堂(通称:さざえ堂)。

拝観開始の9時を少し前に着いたため、あたりを念入りに拝見していると
職員の方が来て詳しい説明をしてくれた。
さらに記念撮影までしてくれ、感謝。

会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立。
高さ16.5m、六角三層。
正式名称:円通三匝堂(えんつうさんそうどう)
当時、飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物。
その独特な2重螺旋のスロープに沿って、かつては西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるとされていた。
また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定、現在に至る。

堂内に入る前に、姿見を念入りに拝見。

六角形の屋根。
扇垂木のような配列のかちこみ垂木。
縁板の隅の処理…。
刺激たっぷりの構造だ。

凝った彫刻ではないものの、あっさりとした品のいい細工が目を惹く。

では早速、中へ。


お堂のてっぺんは、このようにアーチ状になっていて、天井には無数の千社札。
この橋を渡ると下りの順路へと自動的に変わる。
つまり、上ってきた通路の真下を歩くイメージで、上り下りの参拝客とはすれ違わないというトリッキーな構造。

途中には、役小角に関する絵画と解説も発見。

ゴールには、飯盛山正宗寺開祖の残夢大禅師さんの仏像。

世界的にも珍しいものなのだとか。

御仏のお心は、あの海よりも広いものだ、という意味。

さざえ堂の下には、白虎隊士が通った洞穴「戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)」がある。これは、猪苗代湖の水を会津地方に引くため掘られた洞穴で、猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら二十名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約150メートルの洞穴を潜り、命からがら飯盛山の中腹へと至ったという。

水量も豊富で、会津盆地へそそぐ。

飯盛山を後に、次なる目的地「鶴ヶ城」を目指す。

城には詳しくないが、堀や石の積み方に趣を感じる。

会津と言えば「あかべこ」。

非常に姿見の美しい鶴ヶ城(若松城)。

城内には、かつて上杉謙信の廟所があったとされる場所も。

土産物などを購入し、会津若松駅に戻り昼食。
旅の締めくくりを飾るのは、やぱりご当地の名物で。
ソースかつ丼!!

これまで「ソースかつ丼」といえば、関西から近い福井のそれを思いだすのだが、このソースかつ丼は、福井とは違いソースが甘く濃厚で、酸味も強い。
何より「揚げ玉」が程よいアクセントになっていて、クセになる味。
ビールとの相性もいい。旨し。

会津若松に別れを告げ、磐越西線に乗り込む。
かつては、あの「特急 あいづ」の名称を受け継いだ「快速 あいづ」。
猪苗代辺りから小雪が舞う天気に。
俊足を飛ばして1時間余りで郡山へ。

郡山からは東北本線に。
堂々たる○○本線を名乗るにも関わらず、電車は701系というロングシート車。
これでは旅情も何もない。よし、寝るぞ。

新白河に到着。
頭上の高架線を、新幹線が無常にもかっ飛ばして行く。昨年、この新白河駅て食べた新白河ラーメンが美味かったのだが、今回は時間の関係でパス。
列車は7番線に着いた。乗り換えの上り列車は6番線からの発車だが、なんと同じホーム上にある。7番線は行き止まりにされていて、その先に6番線がある。
車両は新鋭のE531系で黒磯行き。都心に近づくにつれて車両が新しくなっていく。
車内で聞こえる言葉もだんだん標準語が浸透してきた。

黒磯からはE131系という新鋭の列車。こいつに乗って宇都宮を目指す。
ここからは宇都宮線と呼ばれるが、やっぱり東北本線と呼びたいのは俺だけか?

宇都宮からは「上野東京ライン」に乗って1時間50分のロングラン。
ここは奮発してグリーン券を購入。東京まで快適に過ごす事を優先するのだ。
さぁラストスパート。

グリーン車は二階建てで2両連結。
いつも2階席に陣取るが今日は1階部分に乗車。
駅のホームと同じ目線が楽しい。

あっという間に東京駅。
今回も無事に、青春18きっぷの旅を終えることができた。

おまけ。
「おつかれ生です~」が言いたくて、ひとり落索は近所の大阪王将。

長文におつきあい有難うございました。
旅の「記憶」を、新しいうちに「記録」する。
ここまでが板原村の神髄でして。

では、また。